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石川 幹子氏
岸田 里佳子氏
潮谷 地方自治体を預かっているトップが、未来社会を見据えて責任を果たしていくという視点から、自治権(拡大)をという発想は本当に大事だと思います。しかし、都市計画マスタープラン等につきまして自分たちの地域に自治権としてもっと下ろせという意見を言われたときに、それを熊本県全体で見たときに、一つの地域が崩れるということは、水の問題、緑地の問題、そこで賄っている農業、林業、水産業の基盤が揺らいでくることになり、景観そのものもダメになっていくという怖れがあります。
また、国レベルの計画の中で「地方」という言い方をされますが、一体どこを見て「地方」と言っているのか。これが法律を整備していくときに問われていることではないかと思います。 例えば次世代育成ということで、300人以上の事業体に対して子育てに関わる計画を立てなさいと厚労省から言われていますが、地方で300人以上抱えている企業はそんなにないのです。99%が中小企業という県がほとんどです。地方の実態像をきちっと見据えて法律を作っていかないと、法律は作ったけれども実態に合わないということになりかねないと思います。 私たちが大事にしなければならないのは、「美し国」をつくるというのは、法律で縛られていくものだけではなくて、私たちが未来を預かるものとして(未来を)形成していくという視点を啓発していく役割が大事ですし、「美し国」が私たちの生命に対してどんな役割を果たしているのかということを県民の皆さんに届けていかなければならないのではないか。 いろいろな法律とかプランの中に生じている矛盾に耳を傾け、それを是正していくためには、市がやるべきなのか、住民がやるべきなのか、県がやるべきなのか、もっと突き詰めて考えていかないと、本当に良い「美し国づくり」という方向性はなかなか生まれてこないのではないかと、思いました。 広域圏のサスティナビリティ補完が 石川 グランドデザインというのは各自治体のそれぞれのものと広域計画と両方あります。広域計画の中にそれぞれの自治体が位置付いていないとダメです。要するに、広域圏でお互いにどういうふうに協力してサスティナビリティを保っていくかということがあって初めてそれぞれのまちが生きるわけです。いま一番弱くなっているのは、だれが広域圏を担うのか、どういうふうにそれを運営していくのか、そこのところが本当に見えないことです。 岸田 「美し国」というのはいい言葉だなと思います。われわれ国土交通省の立場としては、「美し国」のどの部分を担当しているかというと、まちづくりであったり、基盤づくりであったり、土地利用であったり、地べたの話が中心ですけれども、それは「美し国」を造っていく上でベースの部分であることも確かだなと、きょうのシンポジウムに参加させていただいて改めて感じました。 石川 私は、心は庭師だと勝手に思っています。「美し国」というのは本当にいい言葉だと思います。さまざまな方に喜んでいただけるように、小さな「美し国」を少しずつ努力して造っていけたらと思っております。 一市民として感じることを言い合う 進士 「庭師」という言葉が出ましたが、イギリスでは、農業をやっている人たちは国土の庭師だと言っています。つまり農民は農業をやっているだけではなくて、美しい国土を造っているというわけです。国土の庭師が農民であれば、今の市民は都市の庭師でなければ困るのでしょうね。
清原 東京都の中でも地域連携という動きがあります。三鷹市にある井の頭公園の池ですが、池の湧水を保って豊かにするためには、お隣の武蔵野市に雨水浸透枡を設置していただかないと池がきれいにならない。三鷹市の雨水浸透枡を増やして効果が出るのは、調布市に多く流れる野川です。つまり生活圏だけでなく、自然圏、流域圏、水、土、空気というのは連携しているわけですから、そういう視点がなければマクロなマスタープランとか用途地域とか決まっていきません。
自治自治と言いながら勝手にするという趣旨ではなくて、広域圏的あるいは流域圏的な総合的な推進体制、行政域を超えてしていくような仕掛けも、もういくつかあるようですから、それを改めて「美し国づくり」というコンセプトで、今までの仕組みを少し機動的にしていくことも手法としては有効ではないかと思います。 進士 これまでの土地利用は、地べた単位、街区、ロットごとに計画を立てていた。効率よく責任を明確にしてやってきた縦割りの整理、これはこれでいまだに必要だと私は思いますが、それだけでは足りない部分が出てきて、いまのような話になってきているわけです。しかも、それが行政だけでもやれないというので、「協働」とか「参加」という言葉が出てきているのだと思います。 清原 市長になる前は、市民の立場で政策提言とか活動をしていました。市民として協働をしてきた市長だから当然市民側であるし、いつでも市民の立場であるという期待値は、一般の市長さんよりもかなり高く寄せられたと実感しました。 進士 「美し国づくり協会」という名称にしたのは、単なる「美しい」というだけではなくて、「日本の心」みたいなものがある。しかし従来、心は行政が対象にできませんでした。心は一人ひとりの市民が持つものであって、行政がこういう心を持てというのはおかしいわけです。しかし単に法律で決まったことをやるという行為ではない。つまり明文化した法律のような文章ですべて合理的にやるような話は、それはそれで必要ですが、それを超えたところで一体感のようなものを持てないと、結局、景観行政は進まないという気がします。 涌井史郎氏(美し国づくり協会会員、桐蔭横浜大学教授) 私は常々、「景観10年、風景100年、風土1000年」という言い方をしておりまして、景観から風土のところまでどういうふうに遡行できるのか。地方へ行きますと、「景観計画はいいけれども、食べられるようにしてください」という切実な声が非常に多い。そうしたときに、景観計画というところでわれわれの議論はとどまるのではなくて、そこに暮らしが宿っていく風景の議論、われわれの遺伝子の中にある「地域遺伝子」と私は言っていますが、そういう議論にまで広めていく必要があるのかなという気がいたしました。 石野大輔氏(東京農業大学地域環境科学部造園科学科4年) シンポジウムにはいろいろ参加させてもらっているのですが、いつも思うことは、業界内とか興味のある人たちが集まっているのですが、興味のない人たちをどのように巻き込んでいくか。例えば「食」とか「健康」を「景観」とつなげて、その結果を広く発信していくことが大切なのではないかと思いました。 進士 そのとおりかもしれませんね。「健康な食」あるいは農村が元気であること。農業で食っていけるときに、美しい良い農村をつくることになるわけです。ですから農業政策がしっかりしないと、農村の景観だけ保全しようとしても無理です。人間の営み方、生き方が最終的に表われた形が景観であり風景ですから、そこへフォーカスを絞って議論したほうが伝わりやすいかもしれませんね。 青山俊樹氏(美し国づくり協会顧問) きょうは本当にありがとうございました。こんなにおもしろいシンポジウムは久しぶりです。 進士 それでは、皆さんからお一言ずつメッセージなり宣言をどうぞ。 潮谷 「美し国」を成り立たせている要素の中に、水があって緑がある。緑を色彩的に考えていくと、ブルーと黄色が混じったものが緑ですね。黄色は大地、ブルーは空だと思うのです。こういうものがかつてあったままというのは難しいかもしれませんが、持続可能な社会に向かってこれらが存在するために私たちが知恵を働かせていかなければならないのではないかという思いを持ちました。 清原 丸池の復活に参加してくれた小学生たちは、公園を使う、公園を生かすということでずっと関わり続けたいし、未来の子どもたちのために、僕たちが復活の提案をした丸池をずっと守っていってくださいね、と言ってくれます。 |
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