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シンポジウム
「私の・・・うまし国」 2006年4月26日
 特定非営利活動法人美し国づくり協会(理事長・進士五十八東京農業大学教授)は、4月26日、東京都文京区の住宅金融公庫すまい・るホールでシンポジウム『私の…美し国』を開催した。シンポジウムは、熊本県の潮谷義子知事と三鷹市の清原慶子市長の基調講演、そして両首長に石川幹子慶應義塾大学環境情報学部教授、岸田里佳子国土交通省課長補佐(政策研究大学院大学派遣中)の両氏が加わり、進士理事長のコーデイネーターによるパネルディスカッションが行われた。会場には、建築設計、コンサルタント、造園などの専門家、学生、政府・自治体・団体職員など幅広い人々が集まり、意見発表や質問が出されるなど、多くの参加者が十二分に堪能した時を過ごした。

2006年5月17日付「建設通信新聞」より

熊本県知事 潮谷 義子

 「美うまし国づくり」というテーマをちょうだいしましたときに、何と素晴らしい響きのある言葉だろうと、まず表題に感動したところです。

 「美し」という字を分解いたしますと、「羊」が「大きい」という字になります。羊は「やさしい気遣い」あるいは「まるごと役に立つ」という意味合いがございます。まるごと役に立つことが大きい、やさしい気遣いや相手に対しての思いやりが大きい、それが「美し」という意味につながっていくわけです。私たちの県土をそういった気遣いの中で受け止めているのかどうか、そういった問い掛けをさせられたことを私は率直に申し上げたいと思います。

「未来からの預かり物」への責任

 私は県政の基本目標あるいは自分の理念、軸足を「県政は県民からの預かり物」だと思っております。そして同時に「未来社会から預かっている」という感覚の中で舵取りをしているところです。未来への責任を感ずることなしに歩んでいくと、「美し国」という国づくりの展望も開けてこないのではないか。

 そういった中で、基本的な目標を「創造にあふれ“生命が脈うつ”くまもと」と定めました。物事を作り出していく創造、そしてイメージを馳せていくという創造。そして生命が脈うつということは、自然の生命も、私たちの生命も、病んでいても老いていても、男であっても女であっても、外国人であっても、一人ひとりの生命が脈うつ、自己実現に向かって歩んでいくことができる。

 では一体そういった歩みをどういう方法論の中でやろうとしたかといいますと、「ユニバーサルデザイン」を県政の大きな柱に据えながら展開しております。

 ユニバーサルデザインは一言で表現すれば「人権」であると思います。それを遂行していくときの大事な視点は、プロセスを重視していくことではないかと思います。「創造にあふれ“生命が脈うつ”くまもと」をつくるということは、志としては高いものがありますけれども、そこに近づくためには、本当にこれで大丈夫なのだろうか、この歩み方の中で基本目標に到達することができるのだろうかと、絶えずプロセスを省みながら進めていかなければユニバーサルな社会の形成は難しいものがあります。

 私は2000年に知事に就任しまして、ただいま申し上げたような理念の中で歩んでおりますけれど、その前のトップの方々も、「美し国」という言葉こそなかったのですが、熊本県をそういった理念の中で動かし続けておいでになられたのではないか。

 例えば昭和48年、熊本県は「美しい熊本づくり」を提唱しております。熊本の誇れるアイデンティティーとして景観を大事にしていこうというという理念が、この中から動き始めてきております。

 その後、昭和60年には「緑の三倍増計画」、62年には「田園文化圏の創造」を掲げておりまして、より美しい景観を未来に向かって引き継いでいこうという思いで、全国に先駆けて昭和62年に「熊本県景観条例」を作ったところでございます。国におきまして平成17年に景観法の全面施行がなされましたが、これと比べますと、罰則規定と変更命令の2カ所が欠落しておりましたが、それ以外は「熊本県景観条例」の精神はこのたびの景観法の中でも生き続けております。ことほどさように、熊本県ではランドスケープという取り組みがしっかりなされてきていると申し上げてよろしいかと思います。

 そして昭和63年には、「屋外広告物条例」ということで規制をかけていくということも展開してまいりました。

 行政というのは、法律や通達、条令を作った後、どれぐらい魂を込めたかということが問われるのではないかと思います。

専門家は志の高さを

 熊本においでになられた方々はお気づきかと思いますが、空港から熊本市内に至るところに、景観としては見事な楠が道の両脇を彩っていまして、よそからおいでになられた方々は褒めてくださいます。しかし、この楠が大きくなり過ぎて、楠の成長を止めるという姿が見られます。

 どうしてこんなことになったのですかと専門家に伺いました。「緑の三倍増」の中で、とにかく緑を増やそうという意気込みはよかったのですが、木にはおのずと成長があります。おのずと必要とする間隔があります。素人の私でさえもそう思います。そして周辺には田畑がありまして、「影ができる」「作物が実らない」というクレームがついてくるのです。そこで伐採をし、伸びることを止めている。

 私はそれを見たときに皆さんに言いました。「木が悲鳴を上げている」と。景観は保全し、育て、そして愛することが情報として発信されていかなければ本当の意味でのアイデンティティーを育てることにならないのではないか。時のトップの人たちが、とにかく緑をということで木を植え、それがどんどん伸びた。なぜそのとき専門家としての意見を言わなかったのか。専門家が自分の技術、理念を放棄したときに、あってはならない環境へのマイナスが生じている。地域のアイデンティティーを育んでいく中に専門家としての志の高さがあり、時のトップがどんなことを言おうとも理念を曲げない中に、自分が学んできた誇りがあるのではないか。

 私も福祉の専門家として生活をしてまいりました。今、技術者の皆さんや専門家の皆さんに言っていることは、自分の専門に誇りと未来社会を見据えることがないならば、自分自身の生きざまを否定することにつながっていくのではないか。「美し国」という中に命を通わせていくことが必要で、条例を作ることでよしとしたり、景観という感覚の中にとどまっていてよしとするものではないと思います。気遣いややさしさ、あるいはそれが人々の暮らしの中にまるごと役に立っていくという感覚が大事にされていかなければならないと思います。

 また、経済という側面から、開発との折り合いをどうつけていくのかが絶えず問われていると思います。経済を豊かにしていくことはたいへん大事なことですが、貨幣的な価値と非貨幣的な価値の2つをどのように折り合わせていくのかということを、「美し国」は私たちに問い掛けているのではないか。

 もう1つは、行政だけでなく、地域とともに作るという視点、パートナーシップを組むという視点が大事ではないか。地域とともにつくるという理念が、地域が自ら「美し国」をつくっていくエネルギーを高めていくと思います。

 地域のアイデンティティーをどのように持っていくのか。地域のエネルギーをどう高めていくのか。地域と共に作っていくという点で行政の意識はどうなければならないのか。こういった要素がしっかりと織り成すことなしに「美し国づくり」は難しいのではないかと感じているところでございます。

基調講演
「創造にあふれ“生命が脈うつ”くまもと」


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