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第3回「住民も景観の一部」

市立前橋工科大学大学院教授、地域研究開発センター長
元建設省研究部長 工学博士
樫野紀元

 東京近郊のある町でのことです。小さな子が駄菓子屋で飴を1個買いました。その駄菓子屋は、古い日本の光景を残す建物でした。しかし、駄菓子屋のおばさんは、1個だけかと非難するように、その子にずいぶんつっけんどんに飴を渡しました。その子は、自分が悪いことでもしたかのように、恥ずかしそうに頬を赤くして、うつむいて店を出ました。60歳を過ぎているであろう、あのおばさんはなぜ、菓子を買いに来た子に優しくしないのだろう。通りがかりで見たこの光景に、私は殺伐とした気持ちになりました。このおばさんは、きっと他の人にも同じように接していることでしょう。

 最近、昭和の町を再生した商店街が活況を呈していると聞きます。郊外の大店舗に押され、寂れたところが、日に観光バスが30台来るようになった例もあります。そこは、木製建具に手作りの看板など、人が手をかけて再現した商店が連なります。人は高さ方向にセンシブルです。建物が低層ですから、ストレスは溜りません。使われる色彩も一定の範囲内です。

 そこでは、どの商店も、客一人ひとりを笑顔で迎え、たとえ小さな商品を買う客にも親しく接します。その町を訪れた人は、きっと、また行きたくなることでしょう。

 建物やエクステリア、ストリートファニチャー、その他都市を形成するものは、いわゆる「ハード」です。「ハード」は視覚に映る主体です。一方、都市の運営の在り方や、そこに住む人々の生活風景やマナーなどは、いわゆる「ソフト」です。これらは視覚以外の領域、いわば心象風景をつくるものです。

 この「ハード」と「ソフト」が相互に補い合う関係にないとその地域に個性をもたらすことも、文化の香り高い心象風景をもたらすこともできません。住民も景観の一部であることを忘れてはならないのです。

 ドイツでは、6年以上居住しない建築家には、その地で建物を設計させてもらえないそうです。その地の「ハード」と「ソフト」を十分に知ってもらう必要があるからです。

 日本ではともすれば、供給側の論理が優先し、自然環境や既存の町並み景観に関わりなく、宅地開発を行う例があるようです。いたずらにミニ開発をしても、結局は短期間に再開発され、建物が解体されてしまいます。建物の寿命が接道率で決まることもあるのです。これでは、資源やエネルギーの損失はもとより経済的な損失は計りしれません。

 今、良いモデルを一つでも多くつくることが必要です。人の価値観や美意識は、生まれて12歳までに形成されると言います。小さい子に、「ハード」と「ソフト」の良い例を見せることが望まれます。

 さきほど言いました昭和の町の再生には、8年、10年かかるそうです。時間がかかるかもしれませんが、各地でぜひ、こうした取り組みを始めていただきたいものです。

2006年2月16日付『建設通信新聞』より
(樫野紀元『美しい環境をつくる建築材料の話』彩国社より)
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