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私の景観論

 忍者の里として、全国にその名が知られる三重県伊賀市。2004年11月1日に、上野市と伊賀町、島ヶ原村、阿山町、大山田村、青山町が合併、伊賀市として新たなスタートを切った。今岡睦之市長は「ひとが輝く、地域が輝く−住み良さが実感できる自立と共生のまち」を、市の将来像に掲げ、地域の意向を尊重しながら、自然と歴史を生かした景観づくりに取り組んでいる。

◇     ◇

 伊賀市は、県下で初めて景観行政団体となった。合併前の旧上野市は、伊賀上野城の城下町として長い歴史を持つ。それだけに、今岡市長も都市景観に対して「大いに興味を持っている」と語る。

 その市長が考える景観は「自然と人間の営みが織りなす絵模様」だという。「自然には歴史も含まれる。そこにはそこで生まれた文化、人の営みが必ずある。自然に人間がかかわっていなければ景観とはいえない」というものだ。「自然にさからった人の営みによってできた景観は絵にならない。自然にマッチした営みが行われてきたところは、風情があるし、人の心をいやす」とも。

■自分たちで考えて自分たちでつくる
 旧上野市は城下町であり、新たに合併した3町2村は田園と里山の町というように、伊賀市はそれぞれの地区で景観の色合いが異なる。そのため、地域ごとに、37の「住民自治協議会」を設置し、それぞれに地域の個性を持ったまちづくりを進める。その範囲は「小学校単位という、住民同士が互いにわかりあえる空間」にした。「自分たちの地域は、自分たちの考えに基づいて、自分たちの力でつくる」ことを原則にする。市はそれに対し、行財政面でのバックアップをすることで、地域独自のユニークな景観づくりを目指す。

 こうした美しい景観を持つ田園風景をつくるという背景には、国の農業政策が厳しい状況にあり、耕作を放棄した農地が散見されるようになってきたことがある。高齢化による農業の担い手不足解消のため、いかに農村に人を引きつける魅力を持たせるかという課題があり、それを解決するのは「景観しかない」というわけだ。

■人の心に感動与えそこに住まわせる
 「景観は、人の心の動きと大いに関係がある。すばらしい景観に感動し、そこに住みたいと思わせるような地域づくりが、今後の課題だ」。これから定年を迎える、いわゆる団塊の世代の定住の地としての位置を確立していくことで、市の活性化を図っていくこともねらっている。

 同市では、伊賀市スタートと同時に、「ふるさと景観条例」を施行した。05年度には、近鉄「上野市」駅から伸びる大通り「銀座」の拡幅も完了、城下町にふさわしい景観を備えた通りに衣替えした。整備に当たっては「昔の町並みに合うように、商店街全体として風情のあるものにする」という内容の協定を結んだ。個人が建てる建築物に対して、この種の協定は私権制限となる。それでもあえて、協定締結に踏み切ったのは、景観に対する強い思いの表れだといえよう。

 その起点ともなる上野市駅前は、同年8月9日に再開発事業の都市計画決定がなされ、約56億円をかけて、近代的な施設が建設される予定だ。この施設には、商業施設や商工会議所などの業務施設、保健施設、生涯学習施設などの公共公益施設が入居する予定で、中心市街地活性化計画の中核施設と位置づけられている。08年度までに権利変換計画認可を得て、09年度には着工にこぎつけたい方針だ。「公共がつくっていくものは、景観に十分配慮していくことが必要だ」との考えから、現在、市民有志が参加したワーキングで、外観などを含めた検討を進めている。

 また、これと並行して同市では、07年度中に、景観法に基づく景観条例を制定する予定で作業を進めている。

 さらに、岩手ネットワークシステムや関西ネットワークシステムなどとの「民民交流」や、住民自治協議会間の情報交換も始まった。その成果は、集落全体が一体でクリーンキャンペーンを展開したことなどに現れている。こうした活動を通じて「真に美しい景観を持つ都市をつくりあげたい」と、今岡市長は語る。

2007年2月9日付『建設通信新聞』より

景観とは
自然と人間が織りなす絵模様
伊賀上野城と甍を調和させた伊賀市立西小学校。自然と人間の営みが織りなしてきた歴史を持ち、現代と両立した景観が展開されている
伊賀市長 今岡睦之
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