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私の景観論

 わが国の中世に燦然と輝く黄金文化を花開かせた歴史ロマンの漂う町、岩手県平泉町。奥州藤原氏100年の栄華を、いまに伝える『平泉−浄土思想を基調とした文化的景観』は、2008年度の世界遺産登録に向けて手続きも順調に進んでいる。県・政令指定都市を除いて東北初の景観行政団体になるなど、その歴史と文化遺産を生かしたまちづくりに取り組む高橋一男町長に、景観に対する考えと今後の展望を聞いた。

◇     ◇

 「京都や奈良は佇まいを見ただけで12世紀の面影や雰囲気がそれなりに想像できる。平泉はそれがない」

 かつて京の都を凌ぐほどの賑わいを見せたという北の都も、多くの建物は灰となり、庭園は水田と化した。加えて毎年のように町を襲う水害。

 「つい数十年前まで生きるのに精一杯で、文化財やまちづくりをどうするという余裕もなかった」と語る。

 一方で「貧しいがゆえに大きな開発もなく、地下に膨大な遺跡・遺構が良好な状態で保たれてきた」ことが、わが国の代表的な中世都市であり、傑出した地方文化をいまに伝える唯一の地域として、世界遺産登録の動きにつながっていく。

■建設省の英断が市民の意識変える
 こうした動きの中で「平泉にとって大きかった」とふり返るのが、一関遊水地・平泉バイパス事業に伴う緊急発掘調査によって、その存在が確認された柳之御所遺跡だ。

 「建設省(現・国土交通省)の大英断」によって、計画を変更し遺跡の永久保存が決まった。「国の事業ではおそらく前例がないこと。それによって役場職員も町民も文化財や遺跡に対する意識が変わった」という。

 01年度の世界遺産暫定リスト登載を受けて、景観対策も本格化。05年1月に「平泉の自然と歴史を生かしたまちづくり景観条例」を制定し、同10月には景観行政団体に。

 06年度では景観計画策定に向けて「景観形成審議会」(委員長・篠原修政策研究大学院大学教授)を設置。町内での重要な公共施設のデザイン方策を検討する「重要公共施設デザイン会議」や、住民主体の「景観まちづくり会議ワーキンググループ」も活動を開始した。

 「景観計画は町民の意見を吸い上げながら今年6月ころに成案を固めたい」という。07年度中に景観法に基づく景観条例に移行し、08年度での世界遺産登録を受けて「これにふさわしいまちづくりを展開していきたい」ときっぱり。

 景観計画では、コアゾーンはもちろん、「バッファゾーンを含めた自然景観をいかに確保していくか。景観地区をどこまで設定し規制をかけていくか。その区域設定や眺望を確保するための景観ポイントについて現在検討している」という。

 町並み整備も「一気にはできない。家を建て直す時に屋根や壁の色とか高さなど、最小限統一されたものをみんなで理解しあいながら一つひとつ積み上げていかなければならない」と腰を据えて取り組む。

 いま「駅前から毛越寺もうつうじ通りはそれなりの雰囲気が感じられる町並みになってきた」と手応えを感じつつ「平泉を訪れる人は飛騨高山や馬籠まごめ・妻籠つまごのようなイメージではなく、まさに芭蕉が詠んだ“夏草や兵どつわものもが夢の跡”というイメージを求めてくるのではないか」とも。

■素朴な自然の中に12世紀の情景が
 「立派な建物をどんどん造るということではなく、素朴な中にも12世紀の自然の情景をイメージできるようなまちづくり」であり、「何もないけれども季節の花が咲いて心和なごむいい町だったと言われるようなまちづくり」なのだと。

 かつて西行がさいぎょう吉野山に勝るとも劣らないと詠んだ束稲山の桜は山火事などで失われたが、いま植林によって往時の姿に近づけようという地道な努力が重ねられている。「それも当時の平泉を偲ぶ景観の一つ」だ。

 なにより平泉の特徴は「初代清衡きよひら公のこの地域に争いのない平和な社会をつくりたいという“非戦”の願いであり平和思想」だと強調。「その原点に返り、これを礎として先人からいただいたかけがえのない貴重な財産を次の時代に送り続けていく。それがいま平泉の文化遺産に求められていること」だと力説する。

2007年2月1日付『建設通信新聞』より

「浄土=平和」思想を礎に
心和む町に
平泉町長 高橋一男
毛越寺の浄土庭園。平泉とその周辺には都の文化を受容しながら独自に発展させた仏教寺院・浄土庭園などの遺跡や文化的景観が守り伝えられている
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