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私の景観論

 自然、文化遺産、そして温泉と、栃木県内屈指の観光資源に恵まれた5市町村が、昨年3月に合併して、県土の4分の1を占める日光市が誕生した。旧今市市をはじめ旧日光市、旧藤原町、旧足尾町、旧栗山村は、それぞれ宿場町、門前町、温泉地、銅山のまち、水源地域として個々に発展してきたが、現在は一体の「国際文化観光都市」として新たな段階を迎えている。斎藤文夫市長は「見る物はたくさんある。あとは対応する側のホスピタリティだ」とし、ニーズにあった観光振興や足元のまちづくりが肝心だとみる。

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 「日光」と聞いて、多くの人が思い浮かべるのは、日光東照宮、日光二荒山神社、日光山輪王寺の2社1寺だ。建造物群103棟と周りの文化的景観は、1999年に世界遺産に登録された。

 湯ノ湖、湯川、戦場ヶ原、小田代原など、奥日光の湿地のうち260.4haは、2005年にラムサール条約湿地として登録。全域は日光国立公園として守られている。ほかにも、いろは坂、中禅寺湖、華厳の滝、男体山などがよく知られている。

■宿場町のシンボル日光杉並木街道
 世界一長い並木道が延びているのは、旧今市市エリアだ。ギネスブックに載っている「日光杉並木街道」は、全長約37kmにわたり、約1万3000本の杉の木が立ち並ぶ。植栽から約390年が経過したいまも、日光街道・例幣使街道・会津西街道の結節点の宿場町として栄えた、同エリアのシンボルとなっている。我が国で唯一、特別史跡と特別天然記念物の二重指定を受けている。

 日光山と同様、勝道上人(しょうどうしょうにん)によって開山された旧足尾町エリアは、日本を代表する銅山で日本の近代化を支えた。閉山後の現在では、禿げ山の治山事業も進めており、環境問題を肌で感じる環境遺産としての価値が高まっている。産業遺産を活用した「エコミュージアム(全町博物館)構想」にも取り組んでいる。

 日本有数の温泉地である鬼怒川温泉や川治温泉は、旧藤原町エリアに当たる。平家落人に関する風習や言い伝えが多く残る旧栗山村エリアは秘境・秘湯の地で湯西川渓谷などの環境に恵まれている。

■ネットワーク確立し全域から振興図る
 各エリアでは、これまで個別に観光振興が進められてきたが、今後は市域全体の視点で振興に乗り出す。

 JRと東武鉄道の相互乗り入れにより、東京・新宿と日光、鬼怒川温泉を乗り換えなしで結ぶ特急が、昨年3月に運行開始した。これにあわせて、鉄道を利用した観光の起点となるように、東武日光駅、鬼怒川温泉駅の駅前整備を進めている。

 観光シーズンの交通渋滞緩和につながる道路情報の提供や駐車場の整備も進める。

 人々のニーズに対応した観光コースの提案やPR活動も強化する。市域全体のネットワークを確立し、さらに新幹線、小名浜港(福島県)、福島空港(同)の陸・海・空を通じた広域連携も視野に入れて進める。

 温泉地では、過剰な設備投資と世の中の変化があいまって、経営不振に陥る業者があり、国や県も再生支援を進めている。市も廃業時に敷地を買い取っており、新たなまちなみを誘導することで、活路を見出そうとしている。

 ただ、観光振興だけがまちづくりではない。斎藤市長は「市民自身がいいまちだ、住んでいたい、というまちをつくりたい。そのことで、結局はお客さんもやってくる。引っ越したがっているようなまちには誰も来ないでしょう」と語る。

 経済活性化、雇用の創出など、地に足をつけた政策を重視する。そばやわさびの栽培に適した清水を生かし、食品工業など優良企業の誘致も進める。

 旧今市市で取り組んだ景観配慮型の土地区画整理や、旧日光市の街並み保存支援なども踏襲する。湯西川ダム建設に伴う生活基盤の整備も課題となっている。

 市の将来像は「四季の彩りに風薫るひかりの郷」。恵まれた自然環境を次世代に引き継ぐとともに、古いにしえの風薫るまちに国際化・情報化の新風を起こし、個性輝くまちとなるように−−との思いを込めている。

2007年1月31日付『建設通信新聞』より

見る物はある
あとはホスピタリティだ
日光市長 斎藤文夫
日光東照宮など2社1寺の103棟と周辺の景観は1999年に世界遺産に登録された。東武日光駅・東武鬼怒川駅〜JR新宿駅を直通で結ぶ特急が運行を開始したため、東京方面からのアクセスがよくなった
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