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私の景観論

 2003年に豊浦町と、05年には紫雲寺町、加治川村と合併し、人口約10万6000人で新潟県内で5番目の規模の市となった。城下町の旧新発田市を中心に、背後には磐梯朝日国立公園や胎内二王子県立公園に連なる緑深い山並み、西は白砂青松の海岸線も加わった。「資源力はある。ただ、まちづくりは最終的に市民力だ」と説く片山市長に、景観まちづくりなどについてお聞きした。

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 北陸地域では県や中核市を除き、昨年10月、初めての景観行政団体となった。これを受け、ことし4月には建築課に景観行政担当の職員2人を配置。市民や学識者などで昨年6月に立ち上げた景観協議会では景観計画素案の策定に向け、10回の会合を重ねている。10月中には中間報告をまとめ、市民の意見を聞いた上で素案を作成し、住民説明会などによる合意形成作業を経て、今年度末までには計画をまとめたい考えだ。

■心から望む景観を自らが保全、創出
 「共創のまちづくり」を掲げる。「まちづくりは一に市民の参画、協力にかかっている。とくに景観まちづくりは行政主導ではダメ。市民自らが立ち上がり、汗をかき、知恵を出して行政とともにつくっていくことが不可欠だ」。さらに「計画を定めただけでは不十分。市民が心から望む景観を市民自らが保全、創出していくことではじめて新発田らしい景観が形成される」と強調する。

 今のところ、景観計画の対象地域はお城周辺と寺町界隈となる見込み。城下町だった同市は、戦前の大火で寺町など一部を除き、多くの歴史的建造物を焼失した。このため歴史的な面影を残す街並みや建造物が点在し、これらをいかに有機的につなぎ、歩いて観策できる「歴史の路」を創出できるかが当面の課題だ。

 中でも中心となるのは国指定重要文化財の新発田城。別名「あやめ城」とも呼ばれ、本丸表門、旧二の丸隅櫓やぐらが残存。04年に天守閣である三階櫓と辰巳櫓が伝統工法で復元された。ことし4月には財団法人日本城郭協会の「日本百名城」に選ばれた。

 市内にはこのほか、新発田藩の下屋敷として造られた京風の回遊式庭園「清水園」や木造茅葺きの足軽長屋などの歴史的建造物をはじめ、市にゆかりのある画家、蕗谷虹児ふきやこうじの記念館、アントニン・レーモンド設計で丸太の小屋組みとレンガ壁が特徴的な新発田カトリック教会、陸上自衛隊新発田駐屯地にあるフランス様式の建築「白壁兵舎」、明治初期に造営された大邸宅「市島邸」などが点在し、コンパクトな街中に歴史の重層性を感じ取ることができる。

■宝の“点”をつなぎお城中心の“面”に
 「“宝”はいろいろある。これらの“点”を“線”にし、お城を中心に“面”に広げていくこと、その仕掛けをいま進めている」という。街並みの環境整備を始め、空き地や空き店舗を活用した休み処・休憩所を整備することで点在する“資源”をつなぎ、「歩いてもらえるまちづくり」を実現しようというものだ。

 「こうした中で、一部市民には制限をお願いすることになる景観条例制定を求める声が、市民から挙がってきている」という。実際、同市では城下町・新発田の文化遺産を守り、歴史景観を保存、継承していこうという複数の市民団体が行政と協働で地道な活動を展開している。

 一方、新発田城からほど遠くない距離にあるJR新発田駅前では、土地区画整理事業を中心とした同駅周辺整備計画が進む。移転新築する県立新発田病院を核に、公園や駅前商店街に繋がる開放空間なども整備することで、人の流れを創出し、街の活性化を狙っている。中心市街地の空洞化に悩む同市が、にぎわい創出の起爆剤として進めているプロジェクトだ。市の玄関口に相応しい、城下町の風情漂う景観にも配慮している。

 新潟県北部地域の高度医療、救命救急を担う基幹病院に相応しい高層建築が出現し、にぎわいをめざす商業空間がそれに連担するのだが、お城の発する文化的求心性と城下町特有の風土はそれらを柔らかく包摂しているかのようでもある。

 「資源力×市民力×行政力(支える力)=町の活力」−−。お城を中心に点在する多くの資源の有機的連携というテーマに対して片山市長が唱えるまちづくり方程式だ。

2006年9月20日付『建設通信新聞』より

共創のまちづくり
無限の資源は市民力
新発田市長 片山吉忠
片山市長が掲げるまちづくりの中心「新発田城」と「城址公園」。観光客が多く訪れ、市のシンボルにもなっている
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