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「県内人口が減少しているが、伊勢崎市は2018年頃まで増加が見込まれている」と切り出す矢内一雄市長。山間部の多い群馬県のなかで、約2割を占める南部の平地の中央に位置し、「利根川、広瀬川など多くの河川が流れ、北には広大な裾野を持つ端麗な赤城山を見ることができる。埼玉県本庄市に開業した上越新幹線の本庄早稲田駅まで車で20分という“地の利”もある。それが『ここに住みたい』と人が集まる魅力だ」と自負する。 ◇ ◇ 新市街地が近年、にぎわいをみせている。昭和50年代から順次計画していた合計約500haの土地区画整理事業は、当初に想定していた住宅団地とは異なる形で成功した。大規模商業施設を誘致したのがきっかけで、その後引き合いが拡大。市の西部に大型店に加え中小の専門店も多数建ち並ぶことから“西部モール”と呼ばれる大規模商業集積地が形成された。 「いまや伊勢崎市民をはじめ、周辺都市からも利用客が集まり、多くの商業施設が繁盛している。ここで生き残れば、日本中どこでも店舗経営は成功するとも言われているそうだ」と、当初計画とは異なる土地利用の効果に顔がほころぶ。 一方、中心市街地の再生が課題になっている。市民、商店主、行政が一体となって、郊外と異なるまちづくりを検討している。 ■江戸の歴史息づく赤石地区を残そう いまやどこを見ても昔の伊勢崎が残っていない??。ならば「江戸時代からの伊勢崎の歴史がそっと息づく赤石地区を残そう、という機運が、市民のなかに出てきた」というのだ。赤石地区は、戦国時代まで遡れば、赤石城を手に入れた由良成繁が、1561年に伊勢神宮に赤石郷の一部を寄進、伊勢宮を建て“伊勢の前(さき)”の由来となった、いわば市の原点。 今後は計画を見直すとともに、区画整理以外の手法で環境整備を検討している。「道路を碁盤の目に整備し、そのためには家も退かしていたのが、今までのまちづくりだ。これからは、緑や歴史を残していく。それが、これまで気がつかなかったまちづくりの一つではないか」との考えから、現在ある北小学校も市民交流センターを併設して改築、地域で子育てするモデル校づくりを進め、歴史とコミュニティの再生を結びつけた事業が始まっている。 明治時代に浮上した“上州遷都論”では「海から内陸へ80km、関東平野で最初に出会う山・赤城山があり、東西方向が開けている伊勢崎が候補になった。もう一つの理由は、利根川から眺める赤城山だったという逸話も残る」と解説する。 ■赤城山が見えないまちはつくらない 風景探偵団はこのほか、木造洋風医院建築「いせさき明治館」、県内最古のRC建造物「旧時報鐘楼」、小泉稲荷大鳥居、田園風景に溶け込む鶴巻古墳、境島村養蚕農家群など、後世に伝えるべき地域の景観資源の活用についても提案している。 地域資産を残す取り組みの一方で、市民の心を癒す新たな景観も生まれようとしている。今秋には、市民が散策して心身をリフレッシュできる人道橋の建設に着手する。この橋は“心通う交流の橋”をテーマに、広瀬川両岸にある市民病院、西部公園、ラブリバー親水公園うぬき、美原記念病院などをネットワークする。 また、2008年に群馬県で開かれる全国都市緑化ぐんまフェアでは、伊勢崎会場として「健康とふれあい」をテーマに市内に会場を設ける。この中心となる波志江沼環境ふれあい公園の整備を進め、花と緑の景観を創造する。 2006年9月11日付『建設通信新聞』より
これまでにない
「残す」まちづくり
伊勢崎市長 矢内一雄氏
「健康医療都市」を標榜する伊勢崎市のランドマークとして、広瀬川両岸の病院、親水公園などをネットワークする人道橋。市民の心を癒す新たな景観も創造する
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