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私の景観論

 高松塚古墳、石舞台古墳、キトラ古墳を始めさまざまな古墳や遺跡、歴史ある神社仏閣が数多く残され、日本のふるさととも呼ばれる奈良県明日香村。ほかにも日本の棚田百選に選ばれている稲渕の棚田、飛鳥川の風景など観光名所が溢れる人口6500人あまりのこの村に、年間100万人以上が訪れるという。明日香村は1980年に施行された「明日香村における歴史的風土の保存及び生活環境の整備等に関する特別措置法(明日香法)」によって守られており、他自治体とは置かれている状況が大きく異なる。関義清村長に景観保全の歴史や開発についての考えを聞いた。

◇     ◇

 明日香村保存の動きは古くからあり、1966年施行の古都保存法では京都市や奈良市などとともに対象地区となった。

 しかし、それでも都市化の波は明日香村を包みこもうとしており、主力産業の農林業が零細化していることもあり、無秩序な開発が懸念されるようになっていた。

 このため、村民らが声をあげ、文化人や政治家、財界を巻き込み、古き良きものを守ることをベースに住民生活の向上を図ろうとする明日香法が誕生した。「25年前に村全体が特区になったようなもの。法律で縛ることは良いことではなく、当初は押し付けられた感もあったかも知れない。だが、文化人らが起点となって開発を規制し、景観を守ろうとする法律はほかにはなく、とても誇りに思っている」と村長は語る。

 ただ、この明日香法により村内全域が歴史的風土保存の対象となっているため、駅前の一部以外はほとんどが風致地区で、建設行為には厳しい制限がかけられている。

■文化人起点で築いた明日香法に誇り
 このため、「まとまった土地でないと値段がつかず、土地を担保にして新しく事業を始めることができない。かといって農林業も衰退傾向で、村から希望が失われつつあった」

 さらに、観光客は多いものの「文化財などは保存することをまず考え、村にお金が落ちるようになっていなかった」という問題点もあった。

 そこで、村などが働きかけ、00年にこれまでの「凍結的保存」から「創造的活用」に方針が変更され、文化財を公開し、もてなしによる交流施設を設置するなど観光資源を活用できるようになった。

■まるごと博物館構想で村全体の風土形成
 「村が動かなければ動けない規制」となったことで、施策面でもさまざまな動きが出てくるようになった。その代表的なものが、現在進めている「明日香まるごと博物館構想」。「村全体がテーマパーク」と形容する関村長は、歴史遺産を活用した観光資源開発、景観の維持を図る新しい農業の確立などを通じて「明日香村の風土全体を美しく整えていきたい」と意気込む。

 「文化財が相手なので、完全な形になるにはまだ時間がかかるだろう」と見ているが、「その時代、時代で良いものを残していかねばならない」とも語り、不断の取り組みを進めることで「世界遺産への登録をめざしていきたい」と語る。

■田舎には田舎に合う道路、住宅がある
 今から30年以上前のこと。この村に都市計画道路が整備された。ガードレールが付いたまっすぐに伸びる道路だが、村民からはこんな道路は不要だとの声が寄せられたという。

 「山の稜線に沿って道を付けるなど、田舎には田舎にあった道がある。道路でも住宅でもそうだが、都会と田舎で同じ仕様とするのはおかしいのではないか」と画一的な開発に疑問を投げかける。

 村長就任から14年目。村の姿は当時からほとんど変わらないという。数多くの美しい景観に囲まれた村だが、中でも「二上山に落ちる夕日、万葉集に詠われている飛鳥川、春の霞と秋の霧に包まれた自然」などがお気に入りとのことだ。

2006年7月31日付『建設通信新聞』より

不断の取り組みで
世界遺産登録めざす
明日香村長 関 義清
蘇我馬子の墓と伝えられる石舞台古墳には、毎年多くの観光客が訪れる
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