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私の景観論

 東京・多摩でも都心部近くながら、緑と水に恵まれ、作家の山本有三や武者小路実篤などの旧居跡も残る三鷹市。この緑と水を「守る、つくり育てる、そして生かす、まちづくりを市民との協働により進める」の行政スタンスで取り組んでいる清原慶子市長に景観とまちづくりの考えを聞いた。

◇     ◇

 三鷹市内には北西から南東に向かって流れる玉川上水、仙川、野川に加えて国分寺崖線の自然景観があり、水と緑に恵まれている。その水と緑の景観は、市長の唱える市民参加型のまちづくりの中から1つ、また1つと形成されてきたものだ。市長は「三鷹市は戦後、農地が転用され、宅地化が進んだが、1980年代の早い段階で人口が増えるだけでいいのかと市民が自主的に考えるようになったことが大きい。緑を残し、市民に使いやすく、そこに集いやすいものにしようと地域から工夫や提案が出た」と振り返る。

■恵まれた緑と水を守る、育てる、生かす
 「歴代市長の努力が継承され、高福祉、高環境の施策を進め、緑と水の公園都市を作り上げてきたことも大きい。1988年に『緑計画』を策定し、94年には『緑と水の回遊ルート整備計画』を作成した」と施策の連続性を指摘する。そして清原市長は、2005年には2つの計画を統合させた「水と緑の基本計画」を策定した。「景観法は念頭にあったが、あえて景観計画としないで緑と水という市の固有なテーマを明確にした」と語る。

 基本計画の柱に設けた「緑と水を守る、つくり育てる、生かす」の施策のうち、「守る」では、3水系に位置する大沢の里、丸池の里、牟礼の里の3つの「ふれあいの里」づくりをあげる。「うれしいのは市民が参加して緑と水を守り、人の賑わいをもたらすこと。わたしは人の見える景観と言ってる」と眼を輝かす。

 「つくり育てる」では、三鷹駅前、ジブリの森などの自然を市民参加型で積極的に整備している。

 「生かす」では、拠点整備しながら、市中央部を東西に走る東八道路も含め「大きな軸線を結んで歩く体験を通じたまちづくり」をネットワーク化する。

 市有地の緑化も時間をかけ、国の払い下げや民有地を取得し、ジグソーパズルのピースを埋めるように広げてきた。その市の緑だけでなく、家庭の緑や民間企業の緑との結合を視野に入れ、ガーデニングコンテストを開催した。「庭の緑や屋敷林を保全してもらい、市が表彰していく。庭先からの景観」という。

 「市民の協力を得る手法として地区計画は有効」とする。新川島屋敷地区など2地区で緑化率を25%にした。「これだけの緑化率の制限はおそらく全国初」と胸を張る。

■厳しい環境基準で事業者は信頼得る
 「厳しい」環境配慮基準を設けたまちづくり条例を運用し、それを守り開発した事業者はそのことによって信用を得る。「環境や緑を守ることが事業者の利益につながる」と語る。

 清原市長があげる景観ベストスリーとして、「絞りきれない。困った」と言いながら、思案の末、JR中央線の三鷹駅南口駅前広場から玉川上水沿いに伸びる「風の散歩道」「大沢の里」「丸池の里」を挙げた。

 三鷹駅南口駅前広場は、ことし3月にバリアフリーの歩行者デッキが完成した。デッキから東側には玉川上水が井の頭公園へつながり緑豊かな沿道散策を楽しめ「風の散歩道」がある。道をたどれば山本有三記念館や三鷹の森ジブリ美術館がある。 2つ目の景観、「大沢の里」は、市の南西部、野川と国分寺崖線の緑を軸に、わさび田や水田のたたずまいを残している。「里には今(4月下旬)はレンゲが植わっており、これから田植えの季節が控えている」と。

 3つ目の「丸池の里」は、市南東部の仙川沿いに「かつて水をたたえていた丸池という池を再生させ、もういちど里として作り直そうという市民からの提案を実現した」。周辺の4つの小学校の児童にもワークショップに参加してもらい、その結果、「4面の水田も作った」。市民の丸池への記憶が景観を呼び起こした。記憶の中の景観として、「丸池は外せない」と言う。

2006年5月8日付『建設通信新聞』より

市民協働による
人の見える景観形成
三鷹市長 清原慶子
水田や畑が広がり、ホタルの生息地としても有名な「大沢の里」。環境教育や維持管理において市民の活発な取り組みが行われている
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