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私の景観論

 小田原市の歴史をひもとくと「5500年前の遺跡から縄文前期の信州や甲州、近畿の土器が出てきている。つまり、小田原は当時から広域交流の拠点だったと考えられる」そうで、まさに歴史と伝統、豊かな自然に恵まれた都市である。そこに育まれてきた文化をどう引き継ぎ、未来に継承していくか。現状維持だけでは先細っていくだけに、新しい「何か」を付加していかなければならない。ところが、バランスをとるのが難しいのも事実だ。そのモデル都市として、先進的な取り組みを見せてきているのが小田原市だ。

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 目標年次を2010年度とする現在の後期基本計画のタイトルは「おだわらルネッサンス・再生と創造」。「あえて、再生と創造を付けた」と話す。

■住んでいて心豊かになる城下町志向
 その狙いは「私たちは、先人たちの文化、遺産を引き継いでいるわけだが、なぜ残ってきたか。先人たちが、その時代時代で磨きをかけ、未来に向けて創造してきたから。必死で、今を豊かに暮らそう、次代へいいものを残そうという努力をしてきた賜だと思う」とした上で、「それをただ引き継ぐだけではなく、今を生きる私たちが豊かで安定して生活を営める努力もすべきだし、未来に向かってしっかりと築いていくべきものは築いていかなければならない。つまり、守りと攻め」。その守りと攻めを再生と創造という言葉に込めたわけだ。

 たとえば、本丸・二の丸の大部分と大外郭の一部が国の史跡に指定されている「小田原城址公園」があり、その至近には小田原駅がある。小田原駅は、首都圏3000万人口の西の玄関口であると同時に、富士箱根伊豆国立公園という世界のリゾートの東の玄関口でもある。その意味で駅周辺は、それだけの活力が求められる。「両方あいまって、小田原の魅力として、未来にあるいは世界に発信していけるのか、そこが小田原のまちづくりの非常に難しいところ。活力にあふれ、人に優しく美しい街並みをどうつくっていくか。それがおだわらルネッサンスのテーマになっている。その底流に流れているのは、住んでいて心が豊かになるまち」とする。

 さらに、「街の景観を整えるということは福祉も防災も環境も含めた総合行政。住んでいて心が豊かになる城下町、住みたいと思う街でなければリピーターも来てもらえない」とも。だからこそ、国の中心市街地活性化法や景観法に先がけて、「足柄平野の甍の波を整える」都市計画地域全域での高さ規制、中心市街地の商業活性化やアメニティデザインをしっかりしたものにしていくため「街並みの整備の方向性を示した」マニュアルの整備などに取り組んできた。

■全市域景観計画に推奨色を盛り込む
 その成果の一つが市内全域を対象にした景観計画。2月1日に施行され、新たな景観条例も同時スタートした。市内全域を対象にした景観計画は小田原市が初めてで、とくに、豊かな緑や歴史的資源を際立たせるためなどに、避けるべき色の客観的基準(彩度など)と推奨する色を盛り込んだのが特徴だ。重点区域としては、小田原駅周辺地区と小田原城周辺地区を指定している。また、具体的なプロジェクトとしては、環境共生のまちづくりを念頭に各種の都市機能を集積させて活性化をめざす「おだわらレインボーヒルズ構想」や新たな小田原のシンボルとなる「城下町ホール」などが進行中だ。

 一方で、景観を整えるということは総合行政であるがゆえに、現在の大きな枠組みのもとでは市だけでは対応しきれない事項もある。「たとえば土地活用規制がその一つ。国に相談すると、それは神奈川県とやってくださいと言われるが、いずれにしても地方の実情を生かした規制を考えてほしい」と訴える。

 2007年秋に開催を予定している「世界城下町サミット」のプレサミットとして、今年7月には国内の城下町都市が集う「城下町都市会議」を予定している。「いいものを守り残すとともに、未来に向かって新しい城下町文化をみんなで探し、つくっていこうという企画。同時に、小田原に対する誇り、愛着をもってもらう機会でもある」そうだ。

2006年5月1日付『建設通信新聞』より

先人の遺産、
現在に継ぎ未来に築く
小田原市長 小澤良明
戦国時代、北条氏五代の居城として屈指の堅固さを誇った小田原城。1960年(昭和35)に天守閣が復興された。その頂上からは太平洋や笠懸山城の景色が広がる
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