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私の景観論

 江戸の面影が漂う「小江戸」と呼ばれる街並みが、埼玉県川越市に残っている。蔵造り商家が並ぶ「一番街」や市のシンボルとされる「時の鐘」周辺は、私鉄2線とJRで都心と直結する地の利を生かし、昨年1年間で494万人の観光客を呼び込んだ。舟橋功一市長は「伝統的な建物を保存しながら、歴史を生かして活性化し、新しい時代に向けた都市づくり」に取り組んでいる。

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 川越の景観づくりは「戦災にあわずに残った、蔵造りを主体とした古い街並みの保存が最初の目的だった」と振り返る。商店主や住民との対話の末、1999年に国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)の選定を受けたことで「伝統的な建築を維持でき、将来にわたって観光客を誘致できる」との展望を描いた。

■観光客を年間1000万人に
 こうした建物は、個人が所有し、商売や生活を営みながら保存している。「重伝建地区では、建物を勝手に解体できず、11mの高さ制限を受けるなど、規制も強い。それでも多くの方々から承諾をいただいた」という。その背景には、建物保存の結果として商店街の活性化につながったことや、そこへ街並みを乱す高層マンション開発の危機が迫ったこと、さらに、周辺住民が研究を重ね「中心部は強い規制、周辺は緩やかな規制」で合意したことがある。これを受けて「周辺の12の自治会でつくる“十ヵ町”の地区にも、川越市都市景観条例に基づく景観形成地域に指定し、古い家屋の修復を補助し、保存をお願いしている」。この景観条例は1988年に制定した。ただ、「条例で『建てないでください』とお願いするのは、どうしても弱い。いまではこれを後押しする形で景観法ができ、バックアップされた」と話す。努力の甲斐あって、観光客は年々増加している。近い将来に「年間1000万人にしたい」と大きな目標を掲げ、さらなる景観資源の発掘も進めている。

 毎年秋には、20台以上の山車を出す川越まつりが開かれ、「国の重要無形民俗文化財の指定も追い風となり、お客さんが来るキーポイントになっている」という。江戸天下祭りをいまに受け継ぐ絢爛豪華な山車が、古い街並みに映える。「かつて髷を結い、刀を差して歩いていた同じ道に、山車を曳きまわす。人形を載せた背の高い山車も、電線類を地中化した道だから通ることができる」というわけだ。祭りの後の11、12月でも、駄菓子が人気の『菓子屋横丁』を始め客足は途絶えることなく、来客数倍増の兆しを感じている。

■福祉、環境、歴史生かし街を活性
 残された古い街並みも、中心市街地全体から見れば一角に過ぎない。東武・JR線川越駅から西武線本川越駅付近には、中小ビル群の長い繁華街が伸びる。やがて洋風ファサードが建ち並んだ「大正浪漫夢通り」が現れ、表通りに抜けると蔵の街に。「平成・昭和、大正、明治・江戸と、時代を映す街が連なっている」のが特徴だ。こうした中心街、武蔵野の面影を残す平地林、収穫量が県内上位の農地、引き合いの強い工業団地が取り巻く形で、多重の景観を構成している。

 かつて川越藩は、川越街道と舟運の大量輸送で栄えた徳川幕府の北西の守りの要だった。「九里四里(栗より)うまい十三里」とは、日本橋までの十三里を運んだサツマイモの売り口上。現在では人口33万3000人を有し、埼玉県で初めて中核市として指定されている。小樽、函館、熱海、金沢、長浜、彦根、尾道、倉敷、そして川越の全国9市で結成した「知恵のまちづくり全国都市フォーラム」では「単に古い街というだけでなく、環境などに力を入れた新しいまちづくりを研究している」という。

 市庁舎では、1996年度に全国に先駆けて1%節電運動に取り組み、95年度比で5%の節電に成功。昨年脚光を浴びた「クールビズ」も、既に10年前から取り組んでいる元祖。また、昨年の大河ドラマ『義経』では源義経の正妻ゆかりの地として紹介され、ことしは自動車に「川越」ナンバーが誕生するなど、知名度向上の要因が続く。

 「市民が『いいところに住んでいますね』といわれるような、福祉充実、住みよい環境、歴史生かした活性化のまちづくりを進める」と語る。

2006年2月13日付『建設通信新聞』より

「古い街」踏まえ
新しい時代築く
川越市長 舟橋巧一
『時の鐘』は350年間、時を告げてきた川越のシンボル。いまも1日4回、蔵の街に鐘の音が響く。現在の鐘楼は、1893年の焼失後に再建
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