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Top > 私の景観論 > 首長に聞く > 中津川市長 大山耕二氏
私の景観論

 2005年2月、それまでの岐阜県中津川市に、坂下町、川上村、加子母村、付知町、福岡町、蛭川村、長野県山口村が加わって、新生中津川市が誕生した。それ以前、日本のほぼ中心に位置する同市は、中山道の宿場町として栄え、歴史と文化に彩られた景観、自然豊かな景観を保ち続けるため、住民の意見を聞きながら、景観計画の策定を進めている。大山耕二市長に、今後の取り組みを聞いた。

◇     ◇

 同市では05年度予算として、新たに「都市景観形成計画策定事業」を計上した。その事業概要は、中津川地域および総合事務所(旧町村)単位の各地域で懇話会などを設置し、市民の参画も得ながら、望ましい景観のガイドラインである「景観計画」を策定するというものだ。

 この計画によって、建物などの色彩や大きさ、開発などを抑制することができ、より住みやすい環境にしていくことができるようになる。さらには、その実現のための「景観条例」の制定にもつながっていく。

■市民みんなで定め力を合わせて進む
 大山市長は、景観づくりを「公的な力でやるのではなく、市民みんなで方向性を定め、それに向けて、みんなが力を合わせて進めていくものだ」というスタンスを取る。総合事務所単位の懇話会設置も、地区の特性を生かした景観づくりを重視したいという思いをかいま見ることができる。「長い時間がかかるかもしれないが、公共は強制しない。それが日本の街づくりの感性に合う」との考えがあるからだ。

 同市には、豊かな自然に加え、かつての重要な交通要路であった中山道が通る。景観づくりには、この中山道が大きな役割を果たす。「この地方にとって(中山道は)大事なもの。昔からの中山道の景観で残っている部分は、現代の生活に位置付けながらできるだけ残す」方針でいる。

 歴史的・文化的に価値ある建物の保存に努めるため、江戸時代の面影を伝える曽我家建物群の「詳細調査事業」や藤村記念館『隠居所』整備保存事業、日本百名山である恵那山の山麓風穴保存事業、中山道整備事業、地歌舞伎の舞台となった蛭子座の改修事業などを新規事業として立ち上げた。これら事業のコンセプトとしてあるのは「キラリと光る歴史・文化の中津川をつくる」という思いだ。とくに、中山道に面した重要な建物の保存は、大きなプロジェクトに位置付けられている。

■河川、森林活用し他にはない街を
 「旧山口村の馬籠地区の景観保存活動をモデルに、それをにらみながら、市内のポイントである中山道沿線や、賑わいの拠点となる商店街を、今よりよくしていく」「景観づくりのとっかかりは中山道。地元の人と会話しながら、一歩でもいい状態にしていきたい」という。「ISOの考え方を取り入れ、いい方向に向かうサイクルを作りたい」と意欲をみせる。また同市には、中山道以外にも東山道、飛騨街道や恵那山、付知川、四ッ目川などの、すぐれた景観素材がある。また、市の80%を占める森林も大切な自然景観であり、花こう岩の採掘場所だった山も「特色ある自然景観になっている」という。これらの“観光資源”を活用することで「他にはない街づくりができる」と自信をみせる。

 一方、こうした自然景観とともに、街の顔である商店街にも「(景観整備に)手を打っていくことが大事だ」と指摘する。「どういう店が必要で、どういう街を作っていくか、そのためにはどのような街路網がふさわしく、どこに駐車場を設置するかなど(景観づくりは)行政(市役所)と地元商店街の合作になる」と語る。

 「景観は、味わうのも市民だし、自慢できるのも市民だ」。だからこそ、市民の自由な発想を活かしていく。「(景観づくりにおける)地区のリーダーが出てくれば、検討の場を設けることに、市は協力していく」。そのモデルとすべき地区が馬籠宿である。市長は「地元の高まりを受けて、市役所も高まりをみせている」と感じている。

 「みんなで意識を高めて、景観づくりを進めていく」ことで、すべての住民が、誇りを持てる中津川市にしていきたいと願っている。

2006年1月16日付『建設通信新聞』より

中山道の歴史・文化遺産保存へ
手を打つ
中津川市長 大山耕二
旧山口村の馬籠宿を景観づくりにおけるモデル地区にしようと地元と市は機の高まりを見せている
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