◆みんなでつくる〜山村の学園で教えられること

基督教独立学園高等学校元校長 助川暢氏/過疎こそ最大の教育資源

 

 「基督教独立学園」がどういうふうにして始まったか。内村鑑三がアメリカで勉強して帰るときに、日本に帰ったら外国人のまだ手のつけていない土地に行って伝導したいと思って日本地図を広げて、岩手県の北上山地の真ん中、この小国の地に目を向けられました。日本に帰ってから、いろいろな事件に巻き込まれまして、とうとう小国の地に来ることはできなかったのですが、内村は、日曜集会で青年たちに「誰かに行ってもらいたい」という呼びかけをされます。二人一組になって北上山地と小国に伝導に来るわけです。それは1924年です。

 その後、毎年夏に小国に行って伝導した。鈴木弼美先生も1928年夏、峠を越して小国に入りました。鈴木先生は「夏来るだけでは駄目だ」と言い、そこに住みつこうと決意しました。東京大学で理学部物理学科助手をしていたが、それを振り捨てて1933年の冬から小国に移住しました。

 そして、翌年の1934年、ちょうど僕が福島県阿武隈山地で生まれた年に独立学校を始められました。鈴木先生の生涯を考えると、先生は本当に友達や先生に恵まれました。学校ができて、生徒を交えて生活をするわけですが、山奥の生活ですから、何でも自分でやらなければなりません。少ないメンバーで学校を運営していましたから、一人二役、三役を担っていました。

 長年学園で生活し、地域の方々に助けられながら、自労・自活していかなければならない過疎地での教育活動に従事し、韓国やドイツの自然豊かな地に創られた学校とも交流して、自然の中で営む教育の重要性を確認し、人間教育に「過疎こそ最大の教育資源」であることを教えられました。

 僕は本当に感動するのですが、生徒同士が教え合うのです。ここで大事な友達関係を築きます。都会から来た生徒も半年もすれば乳搾りをする。それは生徒同士が教え合っているからです。われわれの人生にとって、良き友を得ることは本当に大切なことです。自然の中にある学校は本当に恵まれています。

 われわれの共通の問題として、人間と人間との人格関係がどんなに大事なのか。弱い人、強力な人との関係、早く亡くなった子どもとの関係。そういう人間関係を大事にしていくことです。鈴木先生は「困難をものともせず」と語られていますが、先生の強さとは人間の痛み・人間の弱さを知った者の、そして神に寄り添うことにあったのだと思います。

 内村鑑三の言葉に、「われわれが死ぬまでにはこの世の中を少しなりとも善くして死にたいではありませんか。できるならばわれわれの生まれたときよりもこの日本を少しなりとも善くして逝きたいではありませんか……」があります。そう願うしだいであります。*基督教独立学園高等学校 山形県西置賜郡小国町叶水にある私立高校。無協会キリスト教を唱えた内村鑑三に学んだ鈴木弼美(すずき すけよし)が1934年に創立した基督教独立学園が前身。1948年に新制高校として再発足。 「美し国」というと美しいという言葉を連想する。美しいということを考えると、電柱をなくそうとか看板をなんとかするとか、色をそろえるとかを想像する。いま助川先生は人の心を話されました。そこが大事なところ。外見で美しさをつくるのではない。ということが分かっていただけたと思います。

サソ