「ランドスケープ・ダイバーシティ・東京」めざそう!

進士五十八氏

 

「美し国づくり協会」は、ただ表面的に「美しい」ではなくて、「美し」という言葉に込められている大和心や地域らしさ、日本らしさなど、深い意味の景観まで考えるべきではないかということを趣旨に設立して、来年で10年目を迎えます。

「美しい東京をつくる都民の会」というのは、鈴木俊一元知事の時代に都知事を会長として始めた都民会議です。東京の景観行政は、40年近く前からいろいろとやっています。戦前の「都市美協会」を考えればすごく歴史がありますが、美しい東京をつくるということでは一貫して努力して来ています。

都民の会は、景観行政をしっかりとやっていこうと、1993年に「東京景観宣言」を出しました。私が原案をつくり、そのほとんどが庁議で通ったのですが、1カ所だけ外されたところがあります。東京市の時代に、関東大震災からの震災復興で美しい東京にしようと建築家、土木家、造園家がつくった「都市美協会」の標語に、「観よく、住みよく、感じよく」と「都市の美醜は市民の心」というのがありました。しかし、「美醜」の「醜」という字は、いまどきの倫理用語ではダメらしいのです。都市の美しさも醜さも、実は市民の心の表れ、生き方の表れが景観に反映するのだというこの標語は、本質をついていると思いますが、こちらは庁議で外されました。

この「東京景観宣言」には、東京の地域性についていろいろと書きました。

「景観の景の文字には光と影の両方の意味があります。良いところも悪いところも景観に表れるのです。都市景観は都市に住む人々の生き方、都市活動や社会の在り方を反映します」、「幸い、私たちの東京には美しい景観都市の舞台が整っています。山と渓谷、豊かな自然、奥多摩や太平洋の島々の大自然は私たちに偉大なインスピレーションを与えてくれます。緑濃い多摩丘陵、雑木林や農地が広がる武蔵野台地。武蔵野は東京人の原風景であります。懐かしさと安らぎ、野川のせせらぎが潤いを感じさせてくれます。そして山の手。坂と緑の住宅地や個性的な商業地が温かく生活を包んでくれます。隅田川や多くの運河に縁どられた下町には、整然とした街区の中に、朝顔やほうずきの細やかさと、東京湾海上はるかに富士を望む雄大さが共存します。江戸川堤から筑波への眺めや、柴又の寅さんに見る人間味も東京の財産です。東京の景観はこんなにも多様で素晴らしいものです」。

これはほんの一例ですが、ここに挙げたのは東京の多様性です。私は10年くらい前から、バイオダイバーシティ(生物多様性)だけが21世紀の課題ではないと考えています。生物多様性は、地球環境や日本の国土という自然環境が持続するために最も不可欠なベースですが、それだけで議論していると人間の在り方が問われない。自然という大地が持続するだけでなく、その上に乗っている社会が持続することを考えなければならない。

そのために「ライフスタイル・ダイバーシティ」という言葉を私は造語しております。つまり生き方や暮らし方、価値観に多様性を持たせて肯定しなければならない。時代が刻々と変化し、世界的な都市間競争が行われ、さまざまな価値観が入り込んでくるときに、1つの価値観で通していくのは、無理があると思いますし、持続性がないと思います。

それは、最近盛んに言われている言葉で言えば、「里山資本主義」です。これは、本屋で山積みになっていて相当売れている本のタイトルで、ご覧になっている方も多いでしょう。ただ、筆者の藻谷浩介さんより何十年も前から、私は「グリーンエコライフ」というライフスタイルを提案しています。六本木ヒルズの屋上の田んぼも私が提案しました。それは、大都市・東京のど真ん中にああいう水田の風景、日本の原風景、日本文化を象徴するものがあることに意味を感じているからです。

それは一種の多様性なのです。東京の再開発が、すべてを超高層ビルで埋める、しかもほとんど同じ形で埋める、というのでは困るわけです。そこには自然とか緑地とか、多摩川とか隅田川とか、玉川上水とか国分寺崖線といった大きな地形の枠組みがあり、そういう条件を踏まえて江戸というまちも創られたわけです。東京を一皮めくれば、そこに大きな自然と江戸が横たわっている。そのポテンシャルは現実に機能している。

そういう意味で、私は「東京景観宣言」で書いたように、東京の大地の特性と、それを上手に生かしてきた江戸・東京の数百年の文化を基盤にした在り方が問われるのではないかと思っています。それと同時に、これまでの歴史だけではなく、これから創っていく歴史もあるわけです。

ライフスタイル・ダイバーシティを強調しましたが、これとバイオ・ダイバーシティを重ねて見ますと、そこにランドスケープ・ダイバーシティというものがあり得ると思っています。つまり東京も一色ではない。「下町」と「山の手」という言葉がありますが、下町だって一色ではないわけです。下町の木場で育ちました私にとって、向島は「向島」という場所であり、本所、深川、木場とそれぞれ異なるローカリティを持っているわけです。これは山の手も同じことです。都市計画の皆さんが「山の手」に「新山の手」を加えて、隅田川の畔を「川の手」と呼んだこともあります。さらに多摩地域、そして小笠原のような島しょ部まで入れたら、東京は大変に多様な都市です。

これは広げれば日本の国土にも言えます。300諸侯がそれぞれ自治というものに近い政治をして、その土地で産業を興して民を養ってきた。そのときの知恵は実に多様です。現代のように画一化した文明ではなかったはずで、それぞれの「国」という言葉をはっきり使いました。

かつて私は、長洲一二・元神奈川知事のもとで県の政策をお手伝いしました。彼はそのときに「かながわ国づくりプラン」という言い方をしました。ローカリティ、リージョナリティを大事にして、「国づくり」プランをつくったのです。それは「文化行政」とか「地方の時代」という流れの中で、観念的には理解されてきました。いまは政府も、地方分権一括法以来、そういう路線になっているわけです。

ただ、私から言うと全く逆です。地方は、国に締め付けられて「地方の時代」を強調していたときの方が、よほど個性的な政策を出していました。いまは地方分権と言われれば言われるほど、逆に地方が全部画一化して一色になりつつあるような気がしてなりません。かつては国が本気で日本の将来を考えて、それぞれの地方のポテンシャルを生かそうという国策もやって来たのです。ところがここ何十年かは、地方は相変わらずどこかから御下賜が来るのを待っているように見受けます。

つくづく思うのは、地方自治体職員の脆弱化です。本当に自分の地域にプライドを持ち、その未来に責任を感じて政策をつくっているのだろうか。確かに財政上の厳しさもあって、職員数を思い切り減らしたり、ボーナスを出さなくなったり、いまの公務員に対する待遇は酷過ぎると私は思っています。思い切り身分を保証して全力投球で仕事をさせるのが本来の政治だと思います。

今日のテーマはオリンピック・レガシーです。オリンピックを契機にもう一度東京を見直す、日本を見直す。そういうタイミングで今日のシンポジウムは開かれています。オリンピックそのものの成功をただ目指すのではなく、オリンピックはある種手段であり、目的は日本の「持続可能な社会」にあります。人口は減って行き、経済も低迷したままであり、東北の課題も相変わらず十分に解決の見通しはついていません。こういう中で、開催後、結果的に国民を幸せにするということが最も大きなテーマです。

神宮の森は、オリンピックの年に創建100年を迎えます。100年を目指して森をどうしようかと、90年目くらいから総合調査をしており、私はその座長を引き受けてお手伝いをしてまいりました。そのときに提案されたのが中島精太郎宮司でした。私が神宮第2次で明らかにしようとしたのも、神宮の森の生物多様性への貢献でした。

神宮外苑にザハ・ハディドの新しい国立競技場を作るーー。私はそれに対して異論を唱えております。もちろん槇文彦先生が一生懸命活動なさり、伊東豊雄さんも新しい代案を出され、都民全体が盛り上がっているようです。幸か不幸か、取り壊しが入札不調によりなかなか始まらないようです。日本の建設業界の技術水準は非常に高いので、慌てて進めなくても建設が間に合うと思いますので、しっかりと考えてほしいと思っています。

ザハ・ハディドを選定した審査員がみな沈黙している中、内藤廣さんだけがしっかりとした意見を出しておられて、大変立派だと思います。内藤さんは「コンペでザハ・ハディドに約束したのだから作らなきゃダメだろう」と。これは信義の問題で、そのとおりだと思います。

ザハ・ハディドの作品は、評価が2つに分かれているようですが、なかなか面白い建築のようです。私は、この巨大な東京にハディドのようなインパクトのある建築があっても、ちっともおかしくないと思います。私の持論でありますランドスケープ・ダイバーシティからも、大いに許容できます。ただ問題は、神宮の外苑では困るということです。

私の代案としては、審査委員長が責任を取って、たとえば自ら関わっている「海の森」へ計画地を移してはどうかと思います。つまり、大きな森や海の景観には、強烈なインパクトのある構造物を吸収する力があります。ランドスケープ・アブソーブション、景観吸収力と言います。朱塗りの橋を山の中の大きな谷に架けても全く問題ありません。巨大な本四架橋も、瀬戸内海の大きな海だからこそそれほどインパクトをなさない。ある意味では調和関係にできる。

神宮の場合、森そのものは大きいので、ああいう巨大な構造物を入れる場所ではないというよりは、絵画館が外苑のランドマークなのです。建築界では、あれはダメなデザインだと言う人もいるようですが、少なくともいまは、人口に膾炙された1つの東京のシンボリックな風景なのです。聖徳記念絵画館を中心に置いて、そこに向けてイチョウ並木のビスタを通したわけです。イチョウ並木も、大変なエネルギーをかけて整然とした美しい並木風景をつくっており、東京では唯一と言っていいモールになっています。そのランドマークの真横に巨大なものが来る。

神宮の内外苑というのは、100年近く前に造園の先輩たちが人為的につくったものです。それも、日本の自然がどういうふうにできているかということを、80余社の日本国中の鎮守の森を詳細に調査し、実測もしている。私が教わった上原先生の話では、仁徳天皇陵という巨大な人工工作物が、時間と共に大きな森になり今の鬱蒼とした古墳になっているのは、あまり管理されてこなかったためであり、本気になって掃除した森は全部ダメになっているというエピソードがした。つまり日本の自然は、時間の継続の中で安定的に最もいい森になっていく。

それのことを踏まえて、本多静六先生や上原敬二先生らは、明治神宮の森については、人を入れないで自然の力でできていくようにした。荒地だった神宮内苑の70数fが鬱蒼とした森になったのは、まさに自然の力なのです。しかし、そこに科学技術としての造園学があって、植える時にシミュレーションし、50年後、100年後、150年後の予測図をつくり、その通りいま成功しているわけです。つまり、人間の知恵と日本の自然風土の知恵を森づくりに生かして、持続可能な森にしているわけです。

それに対して外苑は、人為的にヨーロッパのデザイン思想でつくられたものです。正面にランドマークを置いてビスタを通す、左右対称にさまざまなものを配置するというやり方だった。日本の自然保存に沿ってないので、メンテナンスのコストを相当かけているわけです。皆さんが明治神宮に初詣に行かれて、お賽銭を入れていただくおかげで外苑の美しさは保たれているわけです。

暮らし方にはいろいろある。こうでなければいけないという生き方と、自然の中で上手に順応しながら生きる生き方。そういうところを上手に工夫することで、さまざまな土地でそれなりの豊かさで生きて行けるはずです。東京の中にもそれがあったわけです。格式を重んじる山の手のスタイルと、気楽な隣近所の付き合いの中で助け合って貧乏人でも生きていける下町の知恵は、2つの生き方を示していると思います。その間に、さまざまなタイプの生き方が可能なわけです。そして、その生き方が結果としてその土地の風景になり、それが東京の多様性をつくる。世界から注目される東京の魅力は、そこにあるわけです。

ウルグアイから来た留学生が、新宿の西口と東口を見て、何でこんなに違うのかということについて、ドクター論文を出したことがあります。外国人の目で見ると、新宿の西口と東口でもずいぶん異なり、そこに感動するのです。熊野神社や昔の新宿十二社といった歴史まで掘り下げてくれました。

ですから私は、東京には、実に多様な歴史と自然と文化、そしてライフスタイルがあって、これを伸ばすことが重要だと思います。今回の新しいザハ・ハディドの作品もそういうものだと思います。せっかく100年かけて安定してきた立派な風致は、とても大事です。

いまある国立競技場もそうだと思います。つい先日、オリンピックに出場したアスリートとお話ししました。「さまざまなスポーツマンが国立競技場にお別れをしていましたが、何であんなに思い出深い場所を守ろうということにならないのですか」と私が言ったら、そのアスリートは「そんなことは考えもしませんでした」と言う。スポーツマンというのは言われたことをパッとやる凄さがあるけれども、逆に、こんなの変じゃないのと思わないのでしょうか。これも多様性だとは思いますが。

こういうことが東京の中で積み重ねられて、まさにこれからの東京もあるのだと思うのです。少し頭を柔らかくしてやったらどうか。「見直し」と言っている都知事もおられるので、期待したいと思います。見直しというのは、普通にあることです。みんなが納得できる形にし、東京のそれぞれの場所の多様な魅力が生きるようにして、それが東京の持続性、さらには日本の持続性につながるようにできないものか。そういう意味で、ご提案申し上げたいのが「ランドスケープ・ダイバーシティ」です。

これまで江戸東京は、いくつもの時代を重ねながら多彩なレガシーを蓄積しながら「ランドスケープ・ダイバーシティ・東京」を実現してきたのです。私たちはそのことを銘記して2020年に取り組まねばなりません。

サソ