パネルディスカッション

■参加者

       

国土交通省中部地方整備局長     浜松市長 鈴木康友氏

富田英治氏

 

       

西日本科学技術研究所社長      静岡文化芸術大学教授 

福留脩文氏             阿蘇裕矢氏

 

NPO法人夢未来くんま副理事長

大平展子氏

 

〈コーディネーター〉

美し国づくり協会理事長東京農業大学教授

進士五十八氏

 

 進士 感動して山本さんのお話を聞きました。長い人生をずっと駆け続けていらして、まだまだ駆け続けるとのこと、山本さんの遺伝子を注射したらみんな元気になる。

 市町村合併で大浜松になったことは、浜松市にとって扶養家族が増えたようなもの。市域が大きくなれば問題や課題も増えるのだが、経済的には厳しくとも、豊かな環境を身内にしたというふうにも考えられる。先ほど市長の挨拶にもあったように、日本の縮図ともいえる大浜松をどのように支えてゆくか、また市民はそれをエンジョイできるかを考えてゆくべきだ。日本の縮図の浜松で成功することはモデルケースとなるので、ぜひそれを提示したい。

 富田 地域の力とは、1つは安全・安心、2つめは住みやすい良い環境が整っていること、3つめは経済的にも文化的にも元気があること、この3つが備わってよい地域となるのではないかと思う。

 日本の川は世界と比較して勾配が急で、高低差が大きく、洪水も多く経験している。天竜川も暴れ天竜と呼ばれ、治水には先人も苦労した川である。そのため昔から治水のため、たくさんのダムがある。北から美和、高遠、小渋ダムなどが整備されてきた。また、発電用ダムも佐久間、平岡、船明ダムなどが設置され、日本の産業にも多大な貢献をしてきた。

 天竜川の治水上大きな課題は、川に沿う形で中央構造線と呼ばれる大断層が走り、地質的に脆いため土砂流出が多く、ダムに土砂が溜まり、上流では洪水の危険性が高まり、下流では土砂供給がないため海岸の砂浜が削られてゆく。この土砂を下流に流すため、上流の美和では、ダムの横にバイパスをつくって試験運用に入っている。小渋・佐久間でも整備を始めている。天竜川の上流・中流・下流における土砂のバランスを取り戻してゆく予定だ。海岸線もきれいな砂浜が取り戻せるのではと期待している。

 また、浜松市は交通の要衝の地で、陸上交通だけでなく、港湾や空港など、交通アクセスの面で有利な土地柄である。現在、北部とのつながりを強めようと三遠南信自動車道の整備を進めている。東西方向では、新東名高速道路の整備が急ピッチで進められており、ますます交通の要衝としての地位が高まる。浜松は工業製品や楽器などの製造業が盛んで、それらの製品が三河港、御前崎港、清水港から海外に輸出されている。幹線道路の整備によってさらに産業の活発化につながる。

 私ども中部地方整備局は、今後も浜松市や地域の住民の皆さんと連携協力してよりよい地域づくりを一緒に進めていきたい。

 進士 われわれが生きていくのに必要な港湾、道路、ダム、治水など、そういった地味だが重要な仕事をなされていることは、皆さんお分かりいただけたと思う。

 鈴木 合併したことで物理的に何かが変わったわけではなく、各町村が浜松市の一部になっただけの話で、自然そのものは全然変わっていない。しかし、行政の垣根が取り払われたことによって心理的な距離感が縮まった。これは大きな変化で、各地域が交流を進めることが、合併の一番のメリットではないかと思う。旧浜松市はほとんど都市部で構成されていたが、同じ市内に中山間地まで含まれるようになり、都市と中山間地との交流など、相乗効果がでてくる。共生共助で一つの浜松、一体感のある浜松をつくりましょうと提唱している。

 先日、政令指定都市になることを検討中の千葉県船橋市で、先例の浜松の話を聞きたいと呼ばれたが、船橋市は浜松市にびっくりしていた。政令指定都市はもともと大都市の制度だが、浜松市には過疎地域が4カ所、限界集落が86カ所ある。首都圏の船橋市にはそんな地域はない。行政的にはそうした集落は行政不利地域といえる。つまり、行政コストが大変かかる。しかし逆に考えれば、現在まだ国産材は価格が高いが、今後輸出できるまでになるかもしれない。あるいは、CO2(二酸化炭素)削減対策として森林は見直されてきているので、浜松市は宝の山を抱えたことになる。このように強がりを言っているが、半分は本音で、いずれはそうなってくるだろうし、そうならなければいけない。浜松の自然資源を保全しながら生かすことが大事。

 現在浜松市では「緑の基本計画」を策定中である。非常にユニークな計画になっており、普通は緑地をどう整備するかとか、自然をどう保全するかといった計画になるものだが、本計画では緑をビジネスにしようという。持続可能性ということを考えていくと、行政が前のめりになって取り組むだけでなく、企業や市民などあらゆる主体がかかわって緑に関する活動をしていく時代には、ビジネスとして成り立つことは非常に大事だ。

 進士 人々が地域や暮らし方に関心を持つことが大事だといえる。最初は自分の仕事や生活への関心しか持たないが、子どもの教育から地域や環境まで関心が広がっていく。アウトドアスポーツに関しても、カヌーをやる人は川に関心を持ち、水質、魚と段々広がっていく。プライマリーな関心事から徐々に広げていくと、さまざまな接触が起こり、地域も都心から中山間地まで連携も起こる。これまでの限界集落が理想郷として受け入れられるかもしれない。国民みんながそういった社会をつくろうと思い積極的になれば、将来はもっと明るくなる。行政はそれを上手に誘導することが大事だろう。

 福留 柚子の生産で有名な高知の馬路村では、多くの観光客を豊かな自然で迎えるために、農協が河川改修にお金を出した。流れのなかに、自然に淵ができそうなところを見つけて、1日半の工事で淵をつくった。洪水になっても土砂で埋まらないちょっとした工夫がしてある。その地域にある自然の材料をつかう。工事の後、魚の生息密度を調べると天然の淵より魚の数も種類も増えた。瀬の部分はさわさわした水面で、淵の部分には鏡のような水面ができる。これが本来の川の風景だ。

 また、農業用水路は毎年草を刈らなければならないが、地域の人たちは水路に生き物が住めなければいけないと気がついた。自然の川では大きい石も小さい石も動かない配列、組み方があり、それによって瀬と淵が保たれている。草を刈った後、淵ができるべき場所、瀬ができるべき場所を見定めて、石を安定させた。工事の後、草は川の全面に生えなくなった。水が強く当たる場所や流れが速い場所には生えず、浦になる場所は草が生えて生き物が住める。

 次いで北海道網走の例。網走漁協の人たちが網走川上流の農業組合、森林組合の人たちと話し合いを始めた。網走でも最近は熱帯性の集中豪雨が降るので、川幅を2倍に広げ、川床も2m以上掘り下げて、自然に瀬や砂州が生まれる環境をつくった。上流から流れてくる土砂によって生き物が生きられる、そういった生命のある川にしていく。水の自然の働きをよく読みとるところに河川改修のデザインの基本がある。09年6月にはこの川で生まれた稚魚が川を下ってゆき、10月には3年前網走川で生まれた魚たちが戻ってきて、卵を産む。この循環のシステムを壊さないように、漁業者と農業者とが話し合いをし、研究をしている。農協の感謝祭に漁協の青年部が店を出すなど、協同でやる体制が生まれてきて、これは非常に大切なことだと思う。

 進士 昔の人は、水の流れなどについてちゃんと分かっていて、石の配置などを当たり前のように知っていた。それが高級な土木になりすぎた。今一度素直に自然を見つめながら、日本人の先祖の知恵をきっちり評価して、それを現代科学で検証することが必要かもしれない。

 阿蘇 私は山形県の最上川の下流40−50qのところに生まれ、川とはいかに恐ろしいかを身をもって体験している。四万十川は上流から下流まで全部歩いた。利根川、大井川も踏査した。人間に人柄があるように川にも川柄があるようだ。

 かつての天竜川はいわば国土幹線道路で、物流や人々の交通の役割を果たしていた。流域の歴史を調べると、二股には遊郭はあるわ、ものすごいにぎわいを見せていた。昔の絵葉書などをみるとすばらしいまちだったことがうかがえる。その後の近代化で、国土幹線路は新幹線・東名・名神となってしまった。

 浜松の人の空間概念は東西ばかりを見ていて南北という概念はないのではないか。飯田の人と話すと、彼らは見事に浜松市の方を向いている。南信州の人たちは今回の合併にものすごく期待している。天竜川のほかに大井川水系、安倍川水系、富士川水系があるが、やはり東西しか向いてない。どうやって南北に向かせていくかは、大きな課題だ。天竜川周辺や過疎地域、言い方を変えれば、豊かな緑資源と都市部をどうつないでいくか、である。

 大平 熊(くんま)では二十数年前に村おこしが始まった。元は、女性たちが地域の中で食文化を見直そう、昔のくんまはどうだったのかと古老を訪ね、みんなで勉強したのが始まり。味噌を仕込んだりそばを打ったり、その味噌やそばをお客様に食べてもらえたら、そんな夢が実現し、1988年「くんま母さんの店」がオープンした。今、年間7−8万人の観光客、特にオートバイでの観光客が大勢来てくれる。

 そして、306戸全戸が加入する村おこしをしようということで、2000年に「NPO法人夢未来くんま」を立ち上げた。全戸加入で大変なところもあるが、批判も賛同もあるのが地域と思ってやっている。水車部・しあわせ部・いきがい部・ふるさと部がある。地域の人がいろいろな余剰農産物や自家加工品を持ち寄り、それを母さんの店や「物産館ぶらっと」などで販売、経費などを引いた儲け分を福祉や教育文化、青少年の健全な育成、環境保全などの事業に充てている。

 くんまの子どもたちと秋に水の旅と称して、源流からダムの取水口、浄水場、遠州灘まで眺め、水がいろいろな変化をしながら自分たちの飲み水となり、浜松の友達も飲んでいることが分かり、米のとぎ汁は捨てない、合成洗剤は使わない、川にぽい捨てはしない、となった。

 くんまの思いは、心や経済が豊かでありたい、人や環境に優しい思いを実感したい、さまざまな活動で楽しさを味わいたい。この「豊・優・楽」が「喜」につながる。4年前、天竜市が浜松市に大合併されたとき大変戸惑った。どんな大きな市の一部になっても、くんまはくんまだと実感でき誇りに思えるそんな地域活動を、これからも続けていきたい。

 進士 山本さんや大平さんは説得力がある。実際に活動しておられるからだと思う。阿蘇さん、先ほどの続きをどうぞ。

 阿蘇 浜松の南北の交流が重要だと、緑の基本計画の中でも考えている。

 緑の基本計画に当たって、いろいろな計画を研究した。つくるなら一番新しいコンセプトのものをつくろうと考えた。理念は「みどり生活を愉しむまち」。先進的といわれる横浜市や名古屋市の緑の基本計画も研究したが、みどりを愉しむという計画は、まだどこにもない。浜松だからこそできる計画だ。緑の基本計画の中身は通常自然の保全なのだが、浜松の計画では緑の創出や緑の市民生活、緑のビジネスを取り入れた。

 具体的な中身だが、例えば地域コミュニティーの再構築のために、公園は重要な核となりうる。また、市街化調整区域内の耕作放棄された農地、あるいは市街化区域内の農地をどうしていくか。これまでは、都市計画上は市街化区域内に農地があるはずはないというスタンスだったが、そういう時代ではなくなってきた。都市の農地をどう活用していくのか、市民農園や食育の場、地産地消、園芸療法、いろいろな意味で都市農地の意義が出てきた。

 進士 これまで都市計画で緑というと都市公園だけを指していたが、今回の緑の基本計画では公園の緑だけではなく自然環境全部、まさに水や海も山もみんな入った計画となった。先ほど鈴木市長がおっしゃった心理的距離が小さくなった話はとても大事で、市内はすべて自分のもの感覚、くんまの里は我が家の奥座敷という感覚で、市内全体の一体感ができれば人は移動する。移動するとそれは経済活動でもある。本人にとっては人生をエンジョイする、いい時間を過ごす、仲間と楽しく過ごすことで、結果的にビジネスとなって地域が潤うことになる。

 最後にパネリストの方々から一言ずつ。

 富田 環境に対する意識はどんどん高まっているが、一方で、忘れてはならないのは、自然とは守ってやらなければならないような弱い存在ではなく、時として牙をむくことである。自然を守ることと自然から身を守ること、両方考えなければならない。技術も進歩して、自然を守り自然をコントロールする技術を発達させてきた。今後さらに環境と調和した社会資本整備が進められると思う。

 鈴木 美し国とは、自然環境の美も、人の交わりの味わいも、大事だと思った。山本さんや大平さんのくんまの森など、自分たちで地域おこしをやろうという動きが本当にすごい。佐久間にも「がんばらまいか佐久間」があるし、北区でも女性たちが自分たちで地域を何とかしようと活動を始めた。そうしてみると女性はすごい。浜松には「やらまいか精神」、くよくよしていないでやってみようというのがあるが、どうも男はくよくよしてしまう。女性の力をぜひお借りして、人も自然も美し国をここ浜松でつくっていきたい。

 福留 地域経営の第1段階は、農協や農家が頑張る。第2段階は事業化。第3段階は考え方の転換。これまでは自然を開発、つまり破壊を伴いながら経済的に利益を得てきたが、これは日本人本来のやりかたではない。これからは自然を保護して利益を得る、これが今の時代の生態系サービス。これを認識する。生態系サービスからは経済的利益も子どもの教育も福祉も得られる。サスティナブルコミュニティーのための経営を考えていく。それが国際的な潮流だ。

 阿蘇 今、地理学などでバイオリージョンという言葉が流行っている。川でサケを取ったら汚染されたサケで、原因をつきつめると森林の伐採だということが分かり、さらにつきつめていくと自分たちの生活を見直さなくてはならない、となる。ライフスタイルを含めて考えていかないと川はきれいにならないということ。暮らし方の複線化というのも盛んに議論されている。都会に住みながら田舎と交流したり田舎にも住まいを持ったり住み分けたりしている。都市人ほどこうしたデュアルライフを求める。都市と農村の交流から共生と対流といういいほうに変わってきた。

 大平 大合併の際、2つの中学校が統合してしまった。そのために校舎や職員住宅が使われていない。都市の子どもたちが山村留学という話があるが、くんまには体験プログラムがいっぱいある。遊休施設を活用して何とかできないだろうかと、私自身も民宿の女将になるべく免許を取ったり、いろいろ準備している。とにかく人が来てくれることを望んでいる。今、くんまには幼稚園児は6人だが、親は自分の育った幼稚園に入れたいという。しかしこのままでは地元の幼稚園も廃園になってしまう。子どもを地元の幼稚園で育てたいという若者の思いをなんとかして守ってやりたいと本当に思っている。

 進士 全国で子どもが減って廃校となっているところがたくさんある。学校は地域のコミュニティーセンターで地域社会の核。子どもの数だけでなくしてしまうのはどうか。学校を地域の核として見直していくことが大事。学校の利用者が大人でもお年寄りでもいい。そこににぎわいがあれば、雇用機会が生まれ活性化してくる。

 山・川・里・海は一見、すべて自然のようだが、実は人間が関わっているものだ。人間の暮らし方によってそのかたちをかえてきた。いいほうに変えるかどうかは人間次第。それをつなぎながら全体をネットワークすると違う知恵も出てきている。ネットワークを生かしていけばもっと面白い国・市になっていく。ぜひ皆さんにも、心を豊かにする暮らし方、生き方を目指していってほしいと思います。

 ありがとうございました。